知らないことを知るということ

小学生の頃、シャーロック・ホームズに憧れていた。ホームズは、相手が答えを話さなくても、身なりや仕草や一見無関係な会話から出身や職業や真相を看破する。観察して質問して発見してそれらを練って、「知る」のだ。

子供の頃から「知る」ということに強い欲求があった。小学校の頃に新学期で新しい教科書を貰うとすぐに読んでしまって授業は復習のようなものだった。足りないので図書館に通い貸し出しカード上限まで借りてきては読むの繰り返しだった。

「知る」というのも考えてみると種類がある。ここでは、1.暗記、2.型を学ぶ、3.概念を認識するの3つに分けてみよう。この三段階は徐々に抽象度を上げたつもりで並べた。一つ目の暗記は、歴史の出来事や店の名前を覚えるようなことだ。名詞を増やしていく。二つ目の型を学ぶは、プログラミングを習得するとか切符を買って電車に乗る方法を覚えるとかのようなことだ。公式を増やしていく。三つ目は、初めてテレビの中で動く人を見たようなことだ。いまいち上手い例えが思いつきませんでしたが、今まで持っていなかった認識モデルを増やしていくということをイメージしている。 

三つ目は、いざ分類しようとすると難しくて、二つ目の派生のような気もする。例えば、今まで知らなかった考え方を学ぶとは何に当たるのか?二つ目の気もするし、三つ目の気もする。概念を知るということは型を学ぶよりもっと根底から知らないことを知るということな気がするが、今いち線が引けない。そこで、もう少し卑近で類推できそうな事例を見つけたので書き記しておこうと思う。外国語を学ぶことと性格を知るという例だ。

 

知覚認識モデルに無いものを知る 

英語を学ぶにあたって、発音の種類が日本語より遥かに多い構造に戸惑う。音の数は諸説あるので一例で示すと*1、日本語は母音が5種類だが英語は17種類あるとか。日本語の子音は16種類で英語は22種類とか。合計すると、日本語は21種類で英語は39種類で約2倍だ。これだけ差があると、日本語に無い音のオンパレードだし、日本語が全て英語にマップされるかというと微妙に英語には無い音があったりする。

[θ][ð](無理やりカタカナにするとスとかズとか)として表記される摩擦音なんて、日本語だと言葉ではなく環境音みたいなものだ。話を聞くという行為において、耳で聞いて脳で言葉に変換する過程で削ぎ落としているものだ。英語の学習では、これを言葉として認識して、耳で拾い口で音にするというパターンを追加することになる。 

新しい音の知覚認識モデルができると、今まで言葉として認識していなかった音が耳で聞こえるようになる。「今まで気が付いていなかったことがわかるようになった」が、概念を知るということを説明する一つ目のパターン。

 

現象として認知しているが言葉にできていないことを知る

世の中の構造とは、ある因子がたくさんの表象を形成する。性格分析なんかもその典型だ。

16パーソンという診断テストがある。5つの指標がありそれぞれ両極の軸が用意されていて、どんな組み合わせかにより性格を判断するものだ。Identityという指標で、assertive - turblentという軸がある。そのturblentの日本語訳が「慎重さ」となっていた。しかし、辞書で引くとたいていは「乱暴」とか「荒々しい」と出てくる。「慎重さ」とはまったく正反対だ。

すでにこの日本語訳は消されていて、サイトにもdisclaimerとして翻訳は非公式なもので責任を持てないと書いてある。単純に誤訳と判断してよさそうなのだが、気になるのが誤訳にしてもなぜ辞書に無い翻訳をしたのかという点だ。おそらく、assertiveの直訳が「自己主張が強い」になるので、その反対で「消極的」「おとなしい」だと早とちりしたのだろう。「乱暴」や「荒々しい」だと「自己主張が強い」と似ている。むしろ、誤訳の方が合っているように見える。むしろ、なぜ同じようなベクトルの言葉を両極に取っているのかという方が疑問に来る。

しかし、この一つ一つの軸はとても多面的であり、解説を読むと別の面が浮かび上がってくる。assertiveとは自己確信が強く我慢せずにストレスに強いので、深く考えたがらないしゴールに対してもう一踏ん張りの努力をしないと書かれている。一方、turblentは自意識が強くストレスに弱いので、広範囲の感受性を持ち成功に向けて完璧主義で熱心に改善し続けるとある。*2

実際の人物像をイメージすると、assertiveこそ気が短く他人に丸投げする乱暴者にも見えるし、どっしりと安定した人物像も確かに描ける。turblentは黙々と作業し続ける者にも見えるし、感情的な起伏が激しい人物像も確かに描ける。どちらも「荒々しい」と「慎重さ」が当てはまりそうである。

ますます両極に置かれる理由が見えなくなりそうだが、自己肯定感のある無しの因子で分かれる現象をモデル化した軸なんだろうなと考えている。assertiveは自己肯定が高く、turblentは自己肯定が低いパターンだ。ただ、その因子から表面に出てくる有象無象の現象を一つに包んで説明するぴったり当てはまる言葉が当てられていないのだ。翻訳が惑う訳だし(自己肯定の低さを説明するなら慎重さも合っている)、そもそも原語の筆者も英語でぴったりするものが見つけられなかったのではないか。

現象を説明するぴったりする言葉が見つかっていないんだけど、説明されると、ああ、あの人のああいうところかあとか、自分のなかで起こる感情とかから輪郭がわかる。なぜなら、現象は認知していて、感覚的にはわかっているから。そこで、自己肯定感という概念を示されるとすっと腹落ちする。

「感覚的にはわかっていたんだが言葉で説明できるようになった」ことが、概念を知るということを説明する二つ目のパターン。

 

存在していないことを知る 

最初は考えていなかったが、書いているうちに思いついたので三つ目の概念を知るを続ける。これまでの二つは「存在しているんだけどわかっていなかったこと」の細分化だったが、 そうなると「存在していないことを知る」ということも出てくる。

これはSFとか将来展望とかで出てくる未来で起こりそうな現象や、死後の世界とかファンタジーのような空想上の概念で、想像力の賜物だ。まだ存在していないことすら想像力が概念を作り上げ、知ることができるようになる。

 

 新しい概念を知るとは初めて鏡を知るようなこと

生まれてから成長期は、概念を知るということを毎日のように繰り返してきたはずだ。それを端的に示していると思った動画がある。

 


初めて鏡を見た赤ちゃんの反応は?

 

特に強く関心惹かれるのが、手を動かすと鏡も同じ行動を取っていることに対する戸惑いだ。もっとそれがはっきり表現されている動画があったのだが今探すと消えていて残念だが、おおよそは同じだ。鏡の中の人物がぴったり真似してくることが不思議でしょうがないという風情に妙に感じ入るものがあった。

鏡を知り、そこに映っているのが自分であると知ることは、今まで認識モデルを持っていなかった概念を知ることの典型だなと思った。成長するに伴い知覚認識モデルが出来上がり、名詞や公式のレパートリーを増やすことで熟練するのが人の一生だと思うが、新しい概念に向き合う必要が出てきたときに、初めて鏡を知ったあの時のことを思い出そう。(想像力)

 

 

*1:国際音声学会(IPA)発音記号図 https://www.internationalphoneticassociation.org/content/ipa-chart

*2:16パーソン理論解説のIdentity段落を参照 https://www.16personalities.com/articles/our-theory