Web5 ファーストインプレッション

もう10日以上経つが6/10の深夜に電撃的にWeb5が発表された。Twitterで「Web5」の文字やミーム画像がぞろぞろ流れ始めてきたときは冗談だと思ったが、スライド資料*1を読み進めるといったいどこで笑えばいいんだろうと困惑が大きくなる一方だったくらいに、本気の内容で驚いた。

一部の間ではこれはガチだとすぐに騒ぎ始めたが戸惑っている人たちも多そうだった。まだWeb3ですら一般認知されだしたばかりというタイミングで「4」を飛ばしていきなり「5」だ。そりゃあそうだというところだが、どうもWeb5にすぐに反応できた人たちというのは既存のWeb3になにかしらの違和感を抱いていた人たちだったらしい。ウェブのアーキテクチャ、経済思想、ビジネス構造など、どこに違和感を持っていたかによっても刺さっているポイントが違くて、いろいろな観点があるなあと感心しきりだった。

今回発表された内容は基本的にシステムのアーキテクチャ像の提示が中心である。背景にある思想やこれからどういう社会的な恩恵を目指していくかなどは、発表の舞台となったカンファレンスの発言やメンバーのツイートで補足されている程度だ。だから、基本的にはこれまでブロックチェーンの世界にいてウェブも一通りわかっているシステムアーキテクトまたはその周辺でないとなかなか飲み込めない内容だとは思う。DIDといったキーワードだけならこれまで出てきたものばかり。よってこのWeb5がどこにインパクトがあるかというと、パズルを解くかのようにアーキテクチャや設計思想をまとめた「これだよ、これ!」感だと思う。綺麗に「Web2 + Web3 = Web5」になっている。また、個人的には「すでにあるものを所与としないで違和感を放置せずに基盤から新しい姿を提示してくる」姿に改めてアメリカがインターネットをリードしている源泉みたいなものを見た思いだ。

整理すると以下が私が感じたインパクトになる。

  1. 次のインターネットの論点であるアイデンティティにフォーカスオンしている
  2. 疎結合だから融合しスケールするウェブ本来の姿を取り戻す
  3. 違和感を放置せずに正しさを形にする

1. 次のインターネットの論点であるアイデンティティにフォーカスオンしている

モバイルやビッグデータから始まった2010年代の10年間はビッグテックに富や情報が集中する結果になり、後半からはソーシャルメディアが選挙を左右し広告トラッキングやフィルターバブルが問題視され、インターネットが社会に及ぼすネガティブな影響が焦点になっている。それらの高まりを受けブラウザの3rd Party Cookieも無効化され始めているように、セキュリティやプライバシーの中心にある課題は個人情報資産の取り扱いだ。

Web5の柱に置かれているDWN(Decentralized Web Nodes)、DID(Decentralized Identifiers)、VC(Verifiable Credentials)は、この問題に真正面から取り組むものだ。VCはデジタル上の本人正当性を証明したデータ、DIDはそのVCを特定のプロパイダーに拠らず確立できるようにする仕組み、DWNはDID/VCをベースにさらにアプリケーションサイドで必要な情報を付け足しして配信できるようにする基盤である。単純化した例を出すと、VCが免許証で、DWNはレンタカーの予約情報となる。レンタカーの予約情報はレンタカー屋や旅行代理店など複数の機関から本人が許可することで参照される情報となる。個人の属性や嗜好を示す免許証や予約情報は、これまで特定サービスの事業者が蓄積・分析して広告やクロスセルでマネタイズし、ソーシャルメディアなどでフィルタバブルを作り出す、事業者側の競争力の源泉となっているものである。これを一人ひとりの本人の手に取り戻そう、そのためにどうウェブを作り直すかというアーキテクチャを提案したものがWeb5である。

2. 疎結合だから融合しスケールするウェブ本来の姿を取り戻す

Web5はBitcoinを推しているBlock社(旧Square)のグループのTBDが提案したものなのでBitcoinベースだと受け取りがちだが、Web5の資料を注意深く読んでいると実は"Bitcoin"という単語はまったく登場していないことに気がつく。Bitcoin「ベース」のtbDEXというアプリケーションやIONというDIDソリューションが出てくるまでだし、それも例示の中での固有名詞として登場するまでである。ゆえにWeb5の設計自体はBitcoin以外の他のブロックチェーンでもできるし、そもそもブロックチェーンも必須ではない程度の抽象度と中立性を保っている。DWNもDIDもVCもすべてW3CやDIFといったなにかしらの標準機構で議論が進められているもので、責務を明確にした一つ一つのプロトコルやスタックの集合体である。

前回の記事*2で、インターネットやソフトウェアでコモンズが躍動する条件として4つの要素を挙げ、その例として狭義のウェブのHTML/HTTP/URIの例を説明した。その要素を再掲する。

  • 用途: 一つのことだけをうまくやるというシンプリシティ
  • 範囲: エンド・トゥー・エンドが対象になり広いこと
  • 増幅: たくさんの人や機械やソフトウェアが利用することで梃子の効果が生まれるもの
  • 利用方法: オープンでフリーなリソースであること

今回の資料を見返すと、どの要素もよく満たしていると思う。一つ一つのプロトコルが自立していて自由に組み合わせ拡張できるから、次の発明もしやすいし、無限に近い形でスケールしていけるという、ウェブの原則をきちんと踏襲している。ゆえに、Web2ともスムーズに融合できる。技術的な面でのWeb2の到達点の一つとも言える、PWAもスムーズに組み込まれ、さらに発展したものとしてDWA(Decentralized Web Apps)が提示される。「Web2 + Web3 = Web5」の看板に偽り無し、である。

特筆するところとして、DWNを挙げる。この手のことを設計すると、アプリケーション毎の特定用途のスキーマをいかに追加するかという問題が出てくる。個人情報資産なんてさまざまなドメインで次々に新しい種別が生まれているし、Bitcoinの容量問題もある。そこで、DIDは最重要のクレデンシャルを保存することとDWNへの暗号鍵を提供するPKIの延長のような分散アクセスコントロール基盤だけにして、DWNがDIDの負担を増やさずにもっと多様なデータにスケールするための拡張ストレージになっていると解釈している。クエリーパラメータを用いることでDIDの名前空間を維持しつつDID本体とは切り離しているので、DWNはパーソナル軸やプロダクト軸で自由に無限に立てていけるのである。

Web5ではなくBitcoinの話になるので余談になるが、BitcoinのL2であるLN(LightningNetwork)もやはり満点を取っていると思う。これからのBitcoinの展望として、ペイメントのLN、アイデンティティのIONのように、単一責務の特化型L2が伸びていくことになるんじゃないかなあと個人的に思っている。L1にはスマコンどころかアカウントも要らない。それはオカネの保存・交換の性質を突き詰めていけば出てくる結論である。

思い返すと、Web3の中心であるスマコンプラットフォームとは、オカネだけでなく、オカネと交換対象のモノまで載せてしまおうというものだった。Web2のアプリケーションをスマコンに載せ替えようというチャレンジも平気で行われる。これがどれだけコンピューターエンジニアリング的にナンセンスであり、またこれまでの進歩の積み重ねの資産を蔑ろにした蛮勇であるかは、さまざまな識者が糾弾していることなので割愛するが、少なくともスマコンプラットフォームはシンプルよりもイージーを志向*3したエッジ領域のアプリケーションの特質を持ったものだと思う。

スマコンプラットフォームそのものについては有用なものだと私は考えている。同じく前回の記事で述べているが、ソースコードだけでなく実行コードまで透過性を実現する仕組みとして。また、証券2.0/株式会社2.0のDAO&ガバナンストークンについてもインターネット社会の新たなフォーマットとしての可能性を感じる。単一アプリケーションにもできるRollupならやはり単一責務の特化型L2が可能だろう。とはいえ、ブロックチェーンのL1で必要なものかどうかはだいぶ疑問に思うようになっている。密すぎるのだ。これからユースケースを広げようとするほどに、秘密鍵の失効管理など、密ゆえの重荷が顕在化してくるのではないだろうか。

3. 違和感を放置せずに正しさを形にする

Web3は一昨年から始まった新産業創造の"pump"でずいぶん変質した。なにかおかしいと思っても既存のものを所与としてその上のサービス改善に目を向ける。明らかなポンジスキームなのに、「良いポンジ」に改善することに情熱を注ぐような光景が平気で見られる。"decentralized"を掲げながら、けっきょくのところ運営が価格レートを維持したり損失補填することをユーザーも期待し支持したりする。正しさよりも、顧客の欲しがるものとかマス層に理解されやすいとかに重心がシフトしている。

これは上モノのアプリケーションサービスでは然るべき話でもあるが、では"decentralized"の看板の見直しに目を向けるべきではないだろうか?そうすれば余分な贅肉が取れ、必要なものが明確になり、より課題にフォーカスオンできるようになるはずだ。Web5は"decentralized"はここまでで良いと示している。アイデンティティの基盤までだ。その上のアプリケーションはこれまでのWeb2でも良いんです、と。また、資料にも少し登場しているが、"No token"、"No SmartContract"もプロジェクトメンバーは語っている。この真意はまだ測りかねるが、少なくとも今回提示したアイデンティティの基盤周りに用いないことははっきりしている。アイデンティティにはトークンも投票ガバナンスもいらないだろう。取引するものではないし多数決で決めるようなものではないからだ。

Web5は注意深く抽象性や中立性に配慮しているが、誕生そのものはまあBitcoinから生まれたものと言っていいと思う。Bitcoinは、オカネとはなにか?価値とはなにか?経済的自由とは何か?を突き詰めたものだ。そこに対して妥協がない。そんなBitcoinを教師にして、Web5は、"decentralized"は何になら意味があるのか?人権とは何か?今のウェブに欠けているものは何か?これからのインターネットに必要なものは何か?を突き詰めて生まれてきたものではないか。

その答えが見えてきたときに、ウェブの基盤から変えてくる。調べれば調べるほどぴったりな名前だなあとは思いつつも、正直なところWeb5という名前そのものはどうでもいいとも思う。その中核に置かれている暗号学や数学や計算機科学に立脚した、インターネットにアイデンティティを実装することが焦点である。これはその直面する壁もすぐにたくさん思いつくものだ。既存サービスの利益の源泉になっている力学を変えようというものだし、各国毎の個人情報法などの法原理の違いにも真正面からぶつかる。その道程は遠く、まさしくロングタームのビジョンだし、非連続なイノベーションのチャレンジと呼ぶもので、その途方もなさに唖然とする。

ネットワークとアプリケーションサービスの間にアセット層を作る

Web5が目指している姿をインターネットのアーキテクチャで考えると、ネットワーク層とアプリケーション層の間にアセット層を作るものだと考えるとわかりやすいのではないだろうか。すでにBitcoinがオカネをインターネットに備え付けることに成功したが、さらにアイデンティティをインターネットに備え付ける。オカネは金融資産で、アイデンティティは個人情報資産で、両者をもう一段抽象化すれば「資産」とグルーピングされる。インターネット上に在りながら、個人の主権が確保された資産の保管場所が生まれ、上位のアプリケーションが本人の許可のもとで利用し、われわれの日常をもっと豊かにする。

web5 layer

アイデンティティにマイクロペイメントのLNを掛け合わせると、インターネットの広告モデルの転換も視野に入ってくる。そういう話はまだ目にしていないが、そこまで見ているのは間違いないだろうと推測する。なにせBlock社およびTBDは、収益化をめぐりソーシャルメディアの理想像との間でさんざん悩み続けたTwitterの発明者のジャック・ドーシー氏が率いているので。また、DWAというからにはストア配信の民主化も視野に入れていそうだ。スマホiPhoneAndroidの二強になり市場が大きくなるにつれ、決済の手数料を巡って寡占に対するアプリケーションサイドからの民主化の要求は強まる一方だ。そこにおいてもBitcoin/LNとDWP(Decentralized Web Platform)が組み合わされば、基本材料は揃ってくる。もちろんストアを外してOSネイティブにインストールすることには難しい障壁があるが。

Web5の背景にある思想やどういう社会的な恩恵を目指していくかなどはまだぜんぜん語られていない上に、これから解決しなければいけない問題は山ほどあるとプロジェクトメンバーたちも発言しているように、今回のWeb5はあくまで骨格の提示までだ。しかし、そのアーキテクチャの先の未来はいろいろ想像が膨らむものである。

アメリカがインターネットの中心になる理由

昨年秋のtbDEX発表からWeb5が提示されるまでのコンテキストをずっと追っていたので心の底から痛感したのだが、グローバルでオープンでフリーなプラットフォームを作るための再現性を確立していることを、今回改めて目の当たりにした気分だった。Web2とWeb3を掛け合わせるアプローチはもう一つあって、Web2.5という用語も使われる。Web2.5は、Web2もWeb3も所与のものと見做してそれらを使って個々のサービスを作っていこうというもの。Web5は、Web2とWeb3のどちらも問題があると見做していっぺんに"Fix"しようとするもの。そのために個々のサービスではなくその基盤となるウェブの仕組みを変えようとするもの。なんという大胆かつ本質的なアプローチだろう!

しかし、ウェブやインターネットの歴史を紐解いていくと、実はこのようなアプローチはアメリカでは過去に何度も起こり成功してきたことがわかってくる。インターネットが法とソフトウェアの間で振り子のように揺れ続けてきた歴史は、前回の記事で挙げたローレンス・レッシグ氏の著書に詳しい。中央集権が強まる度に、また分散化に振るために作り替えるような試みを、ウェブの前からインターネットは繰り返していた。その成功の歴史は、文化というべきか共同知というべきか、多くの人たちで共有されているように思える。だから今回もさらっと出てくるのではないか。

以下は、「すべてのデモの母」と呼ばれる、まだパソコンが無かった時代に、未来のコンピューターを想像して形にした実演だ。これまた実に大胆かつ本質的なアプローチである。マウスはここで具現化され命名された。また、今日ウェブで一般的になったハイパーテキストの姿も未来のコンピューターの中核として登場する。

www.youtube.com

このデモを行なっているダグラス・エンゲルバート氏の晩年はけっこう不幸な人生になっている。他人に媚をうらず阿らず、不遇をかこったのである。でもそういう人間性だからこそ、どれだけ多くの人々に愛されるかなどに囚われず、実現したいビジョンに何が必要かを追求してその想像の姿を形にできたのだろうと納得してしまう。一方で、彼だけではここまでで終わるのもやはり納得だ。実現するためには、また別の知識や能力も必要だ。普及のためには多くの人を巻き込み、同じビジョンを共有することも大切だ。エンゲルバート氏が考案したマウスはXとYの直交した2個の円板がある方式だったが、1970年代には別の人たちによりボール式が開発され主流となった。ハイパーテキストエンゲルバート氏も参画していたARPANET、他にもザナドゥプロジェクトなどを肥やしに、ウェブが普及させた。概念や理論の発明があり、でもそれだけでは打ち止めで、その後にアーキテクチャの発明があり、普及の発明があり、を数十年かけて幾多もの人たちのバトンリレーで進めているわけである。

ウェブはもともとドキュメントを共有するためのシステムだ。その中核となるハイパーテキストはウェブ誕生の40年以上前に概念が考案され*4、20年以上前に形が示されていた。ウェブの父であるティム・バーナーズ・リー氏もやはりアーキテクチャを発明する役割だったのだ。Web5の詳細を調べるほど、名前がこの先どうなるにせよ、その歴史の最前線にWeb5がいるように思えてならない。