ソニーとズートピアとオバマから理想を言葉で語る大切さを実感した話

ソニーが騒がしい。かつての立役者だった人たちが次々と現役経営陣を痛烈に批判している。

 

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時期が重なっているからだろうけど、一連のソニー記事を、ズートピアオバマ広島演説とつなげて考えてしまう。

 

 

ズートピアの感想で語られることの一つに、臆面なく理想を言葉に(映像に)して雄弁に語れるアメリカを体現した映画だ、というものがある。

 

オバマ広島演説は、まるでディズニーが事前に内容を知っていたかのように、ズートピアとリンクしている。描かれる理想像は、核廃絶や世界の警察という制度・仕組みの話から、誰もが命、自由、幸福の希求できる世界の実現という生き様に帰結していく。


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ズートピアオバマ演説がメッセージしていることは、アメリカの「世界の警察」という理想像だが、何を理想とするかは違えど、ソニーを批判しているOBの人たちが嘆いていることは、現在のソニーなりの理想像=ビジョンが見えないことのようだ。

 

「自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」 

 

コレが、昔のソニーにはあって、今は無くなったとおっしゃる。

 

ソニーは、司馬史観でいうところの、三河農民ではなく、尾張商人の気質だったようだ。(注:司馬史観は科学ではなく文学=フィクションです)

 

司馬遼太郎『覇王の家』

 

投機的で創意工夫に尊んでいた過去。

 

ニンテンドーもじきに同じような騒ぎが起こりそうな気がしてならない…。

 

企業というものは、成長が義務づけられ、成長により規模が拡大し社員が増えると、重視する価値観や求められる人材像は起業時とは変質してきて、どうしてもマネジメントは変容する。

 

大きくなった船団を維持し、乗組員たちの日常の便益を保証することが船長の役目に変容してくる。

 

外圧でも無い限り、実っている土壌をあえて否定し、0からチャレンジするような創意工夫や投機性は忌避される。

 

ソニーは再び投機的なチャレンジができる自由闊達な工場に戻れるのか?

もしくは、大船団になった現在のソニーの姿に合わせた新しい理想像を、アメリカのように、豊かな言葉でビジョナリーに語れるようになるのか?

 

私はソニーを再建するよりも、ソニー魂を参考にしたスタートアップが取って代わる方が健全だと思う。