自律分散が有用になるのはオートスケールのアトムとして動く時である

「分散」が必ずしも絶対正義でないことは明らかである。有用になるケースは、アトムレベルで分散協調できるようにすることでオートスケールが可能になる場合である。無用になるケースは、リソース拡散する建前として用いられる場合である。

 

言い換えると、後から部品を追加しても支障なく全体を協調拡大できるようにするものだとプラス、既存の塊を砕いて拡散させるだけのものだとマイナス。

 

インターネットのネットワークやUNIX哲学、さらには仮想サーバのように、アトムで自律分散の仕組みができると、後から部品を追加していっても全体が協調拡大できるシステムを作れる。人間が手動でやるよりもコストやリードタイムが下がり、労働集約から資本集約に変化し、天井無しの成長曲線が理論的に可能になりうる。また、特定の主体者への依存が下がることで第3者が参加しやすくなり、集合知の醸成や新しい生態系に進化しやすくなる。

 

 

このケースが有用であることに異論はそんなに無いと思っていて、問題は自律分散をどう実現するかというhowの話が主体。本題は、無用になるケースである。

 

無償コミュニティで見られるように、コンフリクトを避け個人のエゴを通すための建前に「分散」というものが用いられると、社会を形成する前の有史以前に逆行するようなものである。ブロックチェーンVRがその一面として示唆している分断社会のディストピア面は、一見すると個を強めてるように見えるんだけど、個人のエゴを取って集団の協力を捨てている姿である。サピエンス全史/ホモデウスで述べられている人間が他の生物と決定的に異なっている「共同主観」を退潮させるものである。それはつまるところ全体を足し算するとGDPがマイナスになるのでディストピアであるという経済学的証明の命題にもなる。

 

しかし、既に経済的なGDPで測ることが絶対正義であるという前提が崩れているし、経済的にはAIがGDPを支えることが前提になっている。分断社会を推進する前提となるものは、個人の幸福度指数のようなものを持ち出して、同じ価値観や趣味のもの同士が集まり見たい世界を見れると、脳波を計測したら幸福度指数が最大化しているということである。つまり一つ一つのアトムの大きさが拡大するので全体を足し算したら大きくなるだろうという仮説が存在している。

 

 

どちらが正しいのだろうか?確かなことは、どちらも前半に挙げた自律分散型になっていないということである。自律分散のために欠けているパーツは、分裂したアトムをどう再び協調させるかという論点である。サイファーパンクやコロニーは、ここだけにフォーカスしている。

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これは、「分散」ではなく「分解」だ。自律分散が有用になるのはオートスケールのアトムとして動く時なので、次の段階としてアトム同士の協調が重要になる。

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塊を砕くと、砕いた直後はマイナスであり、協調する方法ができたときに自律分散が動き出しプラスになる。

 

bitcoinは、bitcoinの「中」だけで見ると自律分散の仕組みが作れたが、bitcoinの「外」まで範囲に取ると砕くだけのものである。cryptoLawの議論は協調するための議論だし、interoperabilityやDEXは、まさに一度拡散したものを再び協調する論点なので、重要だなと思った。(日記)