私的web3観

web2.0の振り返り

web2.0は革命だった、で良いと思っている派である。けっきょく何が実態なの?という人もたまにいるけど、誰もが表現できるようになったことはホームページでもできるようになっていたので、ユーザージェネレイティッドコンテンツがマネタイズできるようになったことが本質だったと思う。この場合のユーザージェネレイティッドコンテンツという言葉は、プラットフォーマーに対する広義の対義語で用いていて、個人だけでなくサードパーティの法人も含まれる。よって、只のコンテンツと呼んだ方が適切かもしれないが、web2.0っぽいのでこのままにする。個人や何も資本がないスタートアップでもネットでビジネスが成立するようになったので、エコシステムが爆発した。

 

次点として、コンテンツ量が爆発しても、フィルタリングにより人気のあるコンテンツが適切にレコメンデーションされるプラットフォームが生まれたことを挙げる。(ここでは挙げないがインフラの成長もあり)誰でも容易に利用できるのでマスアダプションが加速し、かつ大量消費が可能になったことで、供給量が増えても需要が飽和しなくなった。

 

 

web2.0の象徴としてgmailやmapsやwikipediaが挙げられがちだけど、この観点からは以下が主役だったということになる。

  • googleSearch(フィルタリング)/AdSense(マネタイズ)
  • ブログ(フィルタリング)/AmazonWebService(マネタイズ。現在のサービス名ではAWSよりもAmazonアソシエイトの方)
  • AppStore(フィルタリング&マネタイズ)
  • ソーシャルウェブ(フィルタリング&マネタイズ)

同時進行で、ロジックのパブリック化であるOSSと、データのパブリック化であるAPIサービスが、巨大に成長するインターネットを支え、加速させた。googleはアカデミアやOSSweb標準をサポートする「Openの守護神」となり、ビジネス上では鉄壁の参入障壁とネットワーク効果を築き上げたと思われていたMicrosoft/Oracle時代を前時代のものとした。

 

上記に挙げた4つは現在のGAFA(BIG4)で、web2.0の最終勝者たちであると言える。彼らは沢山の個人に名誉や金をもたらし資本がないスタートアップを誕生させることに貢献している。エンドサービス開発者視点になるが、今のwebはgooglefacebookMicrosoftamazonが提供するソフトウェアやインフラがなければショボいものしか作れない。もしくは一社単独ですべてを自給自足に作れる大組織を作る必要がある。彼らは彼らでUNIX文化に育まれたOSS(ここでいうOSSとは単機能で他と組み合わせて動く前提の小さいライブラリ群のこと)を土台にエンドサービス開発者向けの言語や基盤やフレームワークなどを作っているので、法人と個人が交互にサンドイッチ構造なんだけど、Microsoft/Oracle時代まではアカデミアと研究所だけで横に広がらない2者間関係だったのに比べれば、遥かに複雑で多数の人が参加した縦横に無尽な生態系が広がっている。

 

web2.0が残した課題

しかし、2010年代も終わろうとする今日ではweb2.0の最終覇者となったGAFA(BIG4)の問題点も指摘される。 一言で言えば、勝者総取りへの問題指摘ということになるだろうが、全ての議論を網羅的にまとめるつもりも能力もないので、著者自身の関心事項でいくと、ユーザージェネレイティッドコンテンツに焦点を当てる。確かにリッチで膨大なコンテンツが産まれているけど、そのコンテンツ内容がほんとうに豊かなものになっているだろうか、いや、プラットフォーマーアルゴリズムと人間の怠惰に流れる本能が掛け算となって帰結するコンテンツの質の低下となってるんじゃないのかという点を挙げる。

  • コンテンツの画一化
  • コンテンツの動物化
  • コンテンツの粗悪乱造

コンテンツの画一化とは、同じフォーマットで作られることである。

コンテンツの動物化とは、短くぱっと見でわかることや扇情的なことである。

コンテンツの粗悪乱造とは、コピーして作られることである。

具体例は、上記をMECEにして分類することは難しいので雑に並べると、ガチャゲー、まとめサイト、キュレーションメディア、1分動画、盗作・盗用、ステルスマーケティング、炎上商法、フェイクニュースといったものである。APIサービスやプラットフォームによるデータの可視化が充実したことで人気のコンテンツがわかり、またプラットフォーマーアルゴリズムをハックすることにより露出を増やせる方程式になったので、コンテンツの内容が引き摺られるようになった。

 

しかし、ここまで書いて読み返して、ふと気が付いた。これらは直接的な問題なのだろうか?もし、直接的な問題なら解決方法は、インセンティブを変え、評価式を変え、コンテンツの生成内容をコントロールしようという話になる。一理あるとは思うんだけど、そこは主目的ではなく、もっと別の主目的がありそのプラットフォームを作ったら結果として付いてくる変化なのではないだろうか。コンテンツの質を誰がどう評価するのだろう?それはトップダウンに「こういうコンテンツが望ましい」とモデルを作ることなのだろうか?最終的にweb2.0の勝者となったGAFAが4種類の理想モデルを実現して、そこに不満があるのでじゃあ5つ目のモデルを作りましょうかという話だ。

 

それも一理あるとは思うんだけど、それが筋悪って話ではないんだけど、web3.0っていうほどメカニズムが変わる話には思えない。ここで書く行為によって思考整理しようと思った直観はそういうものではない。とはいえ、web3.0は信用の時代だという話もするつもりがない。google検索でweb3.0を表示するとそういう話になるんだけど、これは自分の理解不足という視点もあるのだけど、どれを読んでもあんまりピンと来ていないから「私的web3観」というタイトルにしている。

 

インターネットが強い力を持つのは、リアルでやるより遥かに短時間で低費用で大量にできるからだ。リアルではできない新しい空間を生じさせるとも考えたが、仮想空間は紙や映像で表現していたことをやっぱり短時間で低費用で大量に拡張できるから産まれる、となるので辞めた。

 

こいつが真価を発揮するケースは、一つ一つは塵でも短時間に低費用で大量に集められることで巨大な価値を生み出せることだ。google検索は、個人個人が自分のためにホームページに貼っていたハイパーリンクを短時間に低費用で大量に集めて巨大な価値を産み出したものだった。というか、上記で挙げた4つのweb2.0の最終勝者モデルは全てそうである。

 

では何がweb2.0の課題なのかというと、別に特に無い気もしてきた。あくまで、ユーザージェネレイティッドコンテンツに焦点を当てた場合である。web2.0に何か問題があるからweb3.0という解決策を考えたと言うよりも、今はまだ出来てなくてそれが出来たら「楽しい・便利・すごい」ってのがあるから、web2.0からweb3.0に進むって方が良さそう。web1.0からweb2.0への進化はそういうエンジンだったと思うし。強いて言うなら、「今できないということが解くべき問題となる」になるだろうか。

 

私的web3観 

一つ一つは塵でも短時間に低費用で大量に集められることで巨大な価値を生み出せることが、インターネットの最大の強みだと挙げた。

これを書籍「ウェブ進化論」に倣って、「 (≒無限大)×(≒ゼロ)」とする。無限大とは塵のことであり、ゼロとは短時間に低費用で大量に集められることを指している。

web2.0の最終結果を振り返り改めてそれぞれの勝者モデルを眺め直してみると、(≒無限大)×(≒ゼロ)を行うことだけを考えると、あっても無くても良さそうなことが4つ挙げられる。

  • 特定の主体者が登録審査しあるコンテンツの生成方法を作る
  • 特定の主体者が何らかの原資を集める
  • 特定の主体者が評価機構を用意する
  • 特定の主体者が原資の再分配を行う

どれもそれぞれの効用があり、人によってはこれらの実現方法を発見し作り上げたからこそweb2.0の勝者が産まれた、とするだろう。私もそうだと思う。5つ目の理想モデルの構築にターゲットするならば、これらの要件に対して今とは違う別の答えを用意することだ。

でも、根底のメカニズムが変わるところまで掘り下げるのならば、(≒無限大)×(≒ゼロ)を起こすためにもっとも最低限の必要要件だけに絞って上記をちょっと書き換えてみる。

  • まだ塵のままである塵、あるいは誕生すらしていない塵
  • 塵の集積メカニズム
  • 塵の評価メカニズム
  • 富の再分配メカニズム

初めの羅列に比べて視点を実行者から対象物に置き換えてみた。なぜヒトからモノに視点を置き変えたかというと、「自動化」がweb2.0からweb3.0への進化の中心核になると考えたからだ。初めの羅列でわざわざ「特定の主体者」と羅列していたのはこのためであり、わざわざ「あっても無くてもいい」と修飾した修飾子が係っていた対象である。一番目の要件と二番目の要件はガラッと変わっているので補足する。一つ目は、ブログにしろYouTubeにしろtwitterにしろTikTokにしろ、そのサービスにアップするコンテンツの生成方法に何かの発明を加えたことが肝の一つだと思うが、(≒無限大)×(≒ゼロ)の観点から本当に重要なことは、まだ散在したままの塵に着目して集積するメカニズムを構築したことや、まだ存在していなかった新しい塵の生成に成功したことだと思うからだ。二つ目は、広告費や手数料や有料会員費といったお金を集める仕組み作りが重要だったわけだが、暗号資産(programmable money)のようにそのメカニズム内から原資を産み出す仕組みが考案され始めているため、焦点を塵の集積方法にズラした。

 

映画「マトリックス」で表現されていた全てがコードで出来上がっている世界というのは非常にインスパイアされるサイエンスフィクションな訳だけど、インターネットだけで完結するユーザージェネレイティッドコンテンツであれば、そろそろもう少し頑張れば自動執行されるメカニズムが主体者になったサービスが可能なようになるかもしれない。

 

自動執行されるメカニズムが主役となり、一つ一つの塵を集めて巨大な価値にして評価して再分配することができたら、それはweb3.0だと言っていい大きなメカニズムの変化ではないだろうか。それが起きた時にあっても無くてもいいことで挙げた特定の主体者が無くなっているのなら、それは信用の時代ではなく、信用が要らない時代である。ここまで整理を進めてきて、ようやくweb3.0が噛み砕けてきたぞという体内感覚が生まれてきた。

 

できればコンテンツの生成はそのメカニズムが統制するものではなく、どんなコンテンツが望ましいとかは気にしなくていい話にできるといい。公共良俗や法に反したコンテンツをどうする?爆発するコンテンツをどうフィルタリングしてレコメンデーションする?富の分配はどう評価して配分量を決める?たとえ原資をメカニズム内から産み出すことに成功しても、やはり集積、評価、再分配の過程では何かしらの基準を作る必要は出てくる。しかし、少なくとも発生地点では放っておけると良いと考えている。なぜなら、こんなコンテンツが良いですという統制が入らないから多種多様で無限大のロングテールが生まれる多種多様で無限大のロングテールは、あらゆる発想の存在を許容し新しい創発を産む肥沃な土壌であると考えている。本来のwebは、一つ一つは塵である多種多様なコンテンツが自由に存在できる空間だ。発生には何も制限をかけずに、その後の工程で対処ができるようにするための鍵になるので、二つ目の要件を塵の集積メカニズムに変えたのだ。

 

今回はここまででガス欠。ウェブ進化論で提示されていることはまだ途上であり色褪せていないということまで整理できました。

 

合わせて読みたい

 本稿のバックボーン

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

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ウェブ進化論を再読しようとなったきっかけ。下書きで止まっていた本稿にもう一度取り組むきっかけになりました(ただし、本稿では直接的にこの内容には踏み込んでいない)

What is Blockchain?ということにあたり一番勉強させていただいているアカウント

もともとは本稿の一節だった前稿の方が強く該当するがOSSエコシステムの土壌に流れている哲学をぎゅっと学べる。曰く、「プログラムを小さく単純なものにし、他のプログラムとの結合性を高くする。そして結果としてUNIXのスケーラビリティと移植性の高さを支える」

UNIXという考え方―その設計思想と哲学

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全てがプログラムで執行されている世界を描いたサイエンスフィクション

マトリックス (字幕版)

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